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March 29, 2008

Bunkamura「さらば、わが愛 覇王別姫」

24日 Bunkamura「さらば、わが愛 覇王別姫」シアターコクーン
映画版大好きです。深夜TVで遭遇する度につい最後まで見入っては涙し寝不足とともに目を腫らす作品。舞台版の脚本は岸田理生さん。
映画はほぼ3時間あるのに2時間でしかも音楽劇(!)という選択肢は何を意図してのことなのでしょうか?やけにサクサクとした物語進行で山場らしきところも平坦なまま、翻訳劇的な説明調の歌詞は心に響いてこないし美しくない。終演後に「それだけ?」といった気分になりました。
確かに展開は映画とほぼ同内容だし、大勢に飲み込まれる弱い人間の様などもちゃんと描かれてはいるのだけれど、ただそれだけ。開演10分ほどで映画とは全く別物と切り離して観ました。

東山さんを舞台で拝見するのはグローブ座リニューアル杮落しの「ロミ・ジュリ」に次いで二度目。正統派の二枚目でダンスも歌もこなすけれど、もしたかしたら器用な方ではなくて、こつこつ積み上げる努力家タイプなんじゃないかな?多分とても限られた時間での稽古だったと思われる京劇シーンは健闘してるとは思うし、剣の舞の剣さばきの見事さは凄いとも思うのですが、ただ歩くということなどに女形としての動きがみられず固いのが惜しい。そしてなにより肝心の蝶衣としてのカタルシスが感じられず、蝶衣(テイエイ)はニンじゃないのではないかと。

母親に6本目の指を切り取られた上に売り飛ばされ、以来ずっと辛く苦しい思いをし続け、今も小樓(シャオロウ/遠藤憲一さん)への想いを抱えているにしては上品で清潔感が有り過ぎるように思います。それをカバーするため?ではないでしょうが女言葉で喋るのも、生硬な言い回しのため不自然に聞こえて逆効果。
更に好みで言うと、蝶衣はあくまでも物語の中の人であってほしいので、狂言回し役には別の人を使って欲しかった。彼に客観的な語りをさせてしまうと物語から乖離してしまう気がします。

遠藤さんの小樓は人間の弱い部分をみせつけるような心の動き。歌...はかなり無理があるので、音楽劇と決めてからのキャスティングだとしたら可哀想。

革命の象徴は赤だし、赤旗を集団で持つというのは共産主義のシンボリックな演出なのはわかるのだけど、フラッグ・パフォーマンスもやられてしまうと「ミス・サイゴン」を思い出してしまうし、同時代のミュージカルに「李香蘭」もあって歌詞のニュアンスをつい比べてしまいます。
宮川彬良さんの曲はシンプルで耳に残るもの。テーマ曲はロック調でどことなくスカボローフェアを髣髴させます。

ラストシーンでオリンピックを持ち出されてようやくこの時期にこの題材を取り上げた理由が判った気がしましたが、でもそれはそれで違う気がする。

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