世田谷パブリックシアター「エンドゲーム」
26日 世田谷パブリックシアター「エンドゲーム」シアタートラム
ゴド待ちで有名なベケットの作品。柄本明さんと手塚とおるさんという顔合わせに惹かれて。
柄本さんとベケットというと、パブリックシアターで上演された石橋蓮司さんとの「ゴドーを待ちながら」抜けるような青空の記憶が鮮明。ベケット...静かな芝居なんだろうな。寝不足でヤバイかも...と思ってたら...スミマセン、やっぱり集中力切れましたm(__)m
台詞を聞いてはいたのだけれど断続的に曖昧となってる記憶。
白い壁に覆われたシェルター。天井もすっかり白い壁で覆い尽くされ上手と下手の高い位置に小さな窓がひとつずつあるだけの一昔前の2X4みたいなセットは真四角じゃなく非対称でいびつに歪んでる。中央に王者然と木製の椅子に座り黒い丸サングラスをかけた長髪白髪の老人ハムは歩けない。重厚そうな椅子には実は車輪が付いている。彼に仕える初老のクロブは窓から外を見るため脚立にそろそろと上り下り。やや足を引き摺って身体が少し不自由そう(ってこれは本当に柄本さんん怪我してたのかも)。下手前方には金属製のゴミバケツが2つ。両腕両足を失くしたハムの年老いた父ナッグと、彼のパートナー(妻というか母じゃないらしい)ネルがそれぞれ入れられている。
ひたすら偉そうに用事を言いつけるハムに対し、口答えしつつも従順に従うクロヴ。時代を超えて生き延びた没落貴族とその執事が最終戦争の終末にひきこもっているかのよう。
ハムの中国風な衣装からバケツにいる父というのがラストエンペラーの瓶を連想させてとても不気味。しかも顔を出したナッグとネルが粉吹くほどの白粉をはたいていて、ネルはお人形のようなパッチリお目目がわざとらしく、二人とも道化のように見えて更に不気味さ倍増。
物語の大半はハムとクロヴのやり取り。きっぱりした台詞回しの手塚さんが大きく見える。対する柄本さんは終始猫背で台詞もぼやき漫才であるかのようなちょっと自己完結型。ほとんど二人芝居と言ってもよさそうなものなのに、二人の会話はどこかがかみ合ってなくって一人がひとりずついるだけみたい。そんなとこがゴド待ちと似てるなと思ったり。でもゴド待ちは訪れるものが何であれ、待ってる二人にとって楽しみなことだろうと思うのだけど、ハムとクロヴが(口先だけで)前進している先にあるものは死もしくは無でしかないみたい。あるいは悪足掻きをし続けて、ついに人間だったらありえない年月を過ごしてしまった二人なのかも?とか。
TrackBack
TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12629/12079260
Listed below are links to weblogs that reference 世田谷パブリックシアター「エンドゲーム」:


Comments